花園神社

せいパパですhappy01

花園神社

北茨城市の花園渓谷にある神社です。

うっそうとした木々が生い茂る山中に

ひっそりとした、佇まいが印象的です。

大きな杉が頭上高く伸びていて

樹高60mに達する巨木を始め

三本杉と言う

地上10mくらいから3本に分かれている杉が

県指定文化財に指定されています。

暗くて綺麗に撮影出来ませんでしたが許してくださいね。

神橋を超えて神社の境内に入って行きます

山門辺りは良い感じです

森に囲まれた不思議なパワーを感じます。

拝殿に着きました辺りは

ひぐらし「かな、かな、かな」と鳴いていて

小さな階段からも風流な感じがしきます。

見るもの全てが此処では幻想的に見えてきますね!

時が止まった感じがしました。

花園神社

紅葉の時期には大変込み合う神社で

しゃくなげの群生地としても有名です!

征夷大将軍の坂上田村麻呂が

795年に創建したと言われています。

坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)

平安時代の征夷大将軍です。

文の菅原道真、武の坂上田村麻呂

文武のシンボル的存在です。

蝦夷攻めで大きな戦果を挙げ

征夷大将軍まで上り詰めた武官です。

蝦夷遠征が激化していた

平安時代の息吹を感じる神社です。

その為、花園神社は文武の神様として

信仰されています。

征夷大将軍

720年多治比県守が多分、初代の征夷大将軍だと

思いますが徳川幕府最後の将軍

徳川慶喜まで続いた蝦夷征討を

目的とした役職です。

源頼朝以降は源氏が将軍になり

世襲制をとる形になりました。

蝦夷は現在の宮城県山形県以北の事を差し

当時の日本の権力者が勢力を拡大する為に

しばしば攻め込んでいました。

太平洋側から攻める軍隊の将軍の事を

征夷大将軍と呼びます。

日本海側から攻める軍隊の将軍は

征夷大将軍とは言いません。

関東を鎮圧する為の将軍は征東大将軍と

呼ばれ平将門の乱などを鎮圧しました。

征夷大将軍とは武官の役職の一つで

特別な物では無かったのですが

征夷大将軍が有名な官職になったのは

源頼朝が征夷大将軍になり

鎌倉幕府を開き武士が政治の中枢を

担うようになり将軍=征夷大将軍と言う

図式が成立した為に

有名になった役職です。

花園神社周辺は花園渓谷・猿ケ京渓谷

少し離れて浄蓮寺渓谷や大北渓谷があり

五浦・磯原の海岸周辺とはとは

全く違う表情を見せてくれる

エリアが広がっています。

北茨城市は奥が深いです!

花園神社

北茨城市華川町花園567

TEL 0293-43-9212

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渓谷に着いたが

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今から茨城の秘境

北茨城市の

花園渓谷に行きますが

どれだけ時間が、かかるか分からないので

野口雨情生家のスタッフの方に

聞いてみると

ここから40分から1時間かかるとの事

今の時間は2時45分

最終目的地の花園渓谷に出発しました!

出発して、しばらくは平坦な道でしたが

段々と緩やかな山道に入りました

道路は綺麗です軽快に車を

走らせていると水沼ダム

出会いました!

お兄ちゃんは、もう朝のお兄ちゃんとは

違っていました

初めて見た本物のダムに

興奮気味です。

写真が良く採れそうな場所の

路肩に車を止めました。

午前中までクールだった

お兄ちゃんは身を乗り出して

ダムを撮影していました!

お兄ちゃんが撮影したダムの写真です。

車を走らせ次第に道が怪しくなって来ましたが

お兄ちゃん

「この先に滝があるんでしょ?」

せいパパ

「七ツ滝と言う滝が7個連なっている滝が

あるんだよ」

お兄ちゃん

「車で行けるの?」

せいパパ

「車は入れないから途中から歩きだよ!」

お兄ちゃん

「楽しみだな~山を歩くのは

5月に遠足で行った筑波山以来だよ」

せいパパ

「筑波山は面白かった?」

お兄ちゃん

「つまらなかった・・・。」

そんな会話をしている内に

花園神社を通過しました。

ここから先は林道になります

車1台がやっとの細い砂利道で

アクセルを全開に踏んでも

私のターボ無しの軽自動車は

20kmしかスピードが出ません・・・。

不安と後悔が脳裏をかすめましたが

Uターンする場所も無いので

不安を見せずにトロトロと

林道を登りつづけました!

脇には細い川が勢いよく流れて

この上流に目指す滝があるんだと感じられる

景色でしたが運転に夢中で

写真を撮る余裕さえありませんでした・・・。

辺りが急に暗くなりだした頃

車が止められそうな場所に出て来ました

道は続いていましたが

直感できっとココから歩いて行くのだろうと

思い車から降りたのですが

せい君は周りの暗く異様な風景に

行かない歩けないと

ぐずってしまいました・・・。

私も異様な風景に圧倒されて

写真を撮るのを忘れてしまいました

それだけ非日常的な山奥です!

花園渓谷周辺の動画がありましたので

周辺の林道も撮影されているので

実際は走った場所とは違いますが

こんな山奥を走って来ましたよ!

お兄ちゃんは全然平気で

歩いて滝まで行く気が、みなぎっていました!

私は、たくましさを感じました

現代っ子で海にも躊躇して

入れ無かった、お兄ちゃんが

暗く怪しい道を歩いて登りたいと

言うのですから!

止めた車の脇にも川が流れていて

小さな橋を渡ると

七ツ滝5分と書かれた分かり易い

案内看板がありました!

さぁ出発だと思った時に

山から降りて来た3人組の方と

遭遇しました!

今から山に入るのは辞めときなさい

とても子供が歩ける場所じゃ無いから

お兄ちゃんは歩けると思うけど

下の坊ちゃんは無理だよ

足元の階段が濡れているから

子供を抱っこして足を滑らせたら

大怪我をするよ本当に辞めときなさいと

真剣に私に言って来ました。

私はココを最終目的地にしていましたが

諦める事にしましたが

お兄ちゃんは大丈夫だよ歩けるよと

言っていましたが怪我をして

最悪、遭難でもしたら嫌なので

山を降りる事にしました。

車で下山して行くうちに

少しづつですが周りが明るくなって来ました

さっきまで雲の中に少し入っていたようです!

無事に花園神社まで戻って来ましたので

散策した記事は明日にしますね。

ハイキングコースの紹介HPは沢山ありますが

どれも詳しいのは無いに等しいです

私は、今回は車の運転も緊張してしまう程でした

花園渓谷での体験を活かして

茨城のハイキングコースも

克明に写真付きで紹介して行きたいと

感じました。

言葉だけでは伝わらない肝心な事を

写真で見れば誰でも分かると思います

せい君でも歩けそうな場所を選んで

今後も山に挑戦してみたいです!

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野口雨情生家

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野口雨情の生家は北茨城市に

今でも残っています。

野口雨情生家

建物は明治10年ごろに

野口雨情の父が建てました。

水戸徳川家とも深い関わり合いを持ち

水戸光圀より「観海亭」と名づけられ

古文書も保存されています。

茨城県史跡文化財として指定されています。

野口雨情は明治15年に

この家に生まれ

15才頃に上京するまで過ごしました。

平成11年に生家の隣に資料館が

併設され野口雨情ゆかりの品々が

展示されています。

そんなに広くない資料館ですが

係りの方が親切に案内してくれて

分かりやすかったです!

門には樹齢400年だったと思いますが

さるすべりが大きく成長していて

今でも花を咲かせているそうです。

その傍らで、せい君はダンゴ虫を見つけて

戯れていますが死んでいたようです・・・。

庭も開放してあり

自由に見学が出来ます。

野口雨情の独特の詩の世界は

幼少時代を過ごした

ここ北茨城で育まれて発展して行ったのでしょうね。

野口雨情

北原白秋・西条八十とともに

童謡の近代化に貢献しました。

代表作も数多く

「十五夜お月さん」「七つの子」「しゃぼん玉」など

どれも有名な童謡ばかりです。

明治30年 15歳の時に上京し

       19歳の時に東京専門学校(現・早稲田大学)入学

       翌年に中退し詩作を始める。

明治40年 25歳の頃に

       北海道に渡り新聞社に勤める。

明治42年 再び上京。

明治44年 北茨城に帰り

       植林や山林管理に携わっていました。

日本各地を旅行して

昭和20年に永眠しました。

童謡の近代化

大正デモクラシー以降

情操教育の為に

子供側にたった楽しい音楽を求める

「童謡運動」が行われ

明治時代に近代化の波と共に

近代童謡が確立されていきました。

野口雨情の世界観

代表作「シャボン玉」

童謡 シャボン玉は

誰でも知ってる歌ですが

歌詞の題材になったのは

野口雨情の実の子供が生後すぐに

死んでしまった事を悲しんで作った詩です。

シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ

屋根まで飛んで 壊れて消えた

歌詞の中では、この様に表現されています。

雨情の詩は他の作者とは

全く違った作風です。

それは野口雨情が送った人生が

物語っています。

野口雨情の実家は地元でも

有数な廻船問屋で裕福な家庭に育ち

15歳で東京に送り出され

詩作を始めましたが

詩集の処女作は売れず

帰郷して結婚したが

家庭を捨て北海道に行きました。

常磐線の開通と共に実家の家業も

倒産し衰退、離婚、両親の死

歳の離れた女性と再婚したが

世間の冷たい非難を浴び

自分の無力さに落胆する雨情を

再婚した妻が慰め各地を旅行して回り

その人生から悲しい詩が数多く誕生しました。

悲しく辛い人生を歩んだので

誰も真似できない雨情独特の世界観を

持った童謡を数多く発表していけたのでしょう。

人間苦労無くして深い詩を書く事は出来ないでしょう。

今の世の中

子供に苦労をさせたくないと言う

大人が多いのは不思議でならないです・・・

苦労してこそ

人の痛みが分かる人間になると思います。

苦労しないで人生楽に生きれるほど

甘い世界では無いはずです。

今は無邪気に遊んでる、せい君も

これから暗く辛い人生が待っているでしょう

沢山人を傷つけ、人に傷つけられて

大きく成長していって欲しいです

私はほんの少しだけ

せい君の歩む道の手助けが出来れば

嬉しいです!

野口雨情は裕福な家庭に生まれ

自由奔放に育てられ

周りから非難される人生を送りましたが

詩と言う才能が彼を救ってくれました。

野口雨情生家

北茨城市磯原町磯原73

TEL 0293-42-1891

営業時間 9:00~16:00

定休日 無休

入館料 100円

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二ツ島

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北茨城市の二ツ島観光ホテルの

裏手の海岸に大小2個の島

二ツ島です。

二ツ島観光ホテルHPこちら

二ツ島

茨城百景に選定されている

磯原海岸を代表する景勝地です。

国道6号線沿いにあるのですが

日立方面から来るとホテルで見えないのですが

いわき方面から来れば

見たら声を出してしまう程

巨大で立派な岩です。

車を駐車するスペースが無いので

二ツ島観光ホテルの駐車場を

ちょっと拝借しました!

階段を降りると

圧巻の景色です。

臨場感を出したいので

動画で見て下さい!

小さい島は

岩と言っていい程に小さい!

浸食でこんなに小さくなったそうですが

もともと小さい岩だったのでしょうね。

砂浜に着き

せい君に普通の靴だから

海の中に入らないでねと

伝えて散策をしていると

せい君が海の中に

思いっきり入っているでは無いか・・・。

さっき言ったばかりなのに・・・。

海から出て来て私に注意されるし

靴は濡れているし

砂が入ったらしくて

一人で靴と格闘しています!

お兄ちゃんは今日行った所で

1番気に入ったらしく

カメラに景色を収めまくりで

無言でシャッターを押し続けていました!

駐車場の脇には

とおりゃんせの像があり

こんな案内看板がありました。

だけど周りは草だらけ。

綺麗な海岸でしたが誰もいません・・・。

有名な割には穴場的スポットなのでしょうか?

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