香丸資料館

せいパパですhappy01

石岡市にある

漆喰の壁が眩しい土蔵作りの

喫茶店とギャラリーを併設した建物が

香丸資料館です。

資料館と名前が付いていますが

歴史資料館とは全く関係無いですよ。

入口のロゴが印象的でした!

せいパパが微妙に映っています・・・。

1階は喫茶店になっています。

2階は誰でも無料で借りれる

ギャラリーになっていてHPを見ると

びっしりと予定が入っていました。

とても人気があるギャラりーの様です

無料なので個展などを開催しやすいのでしょうね!

私も、いつかはココで

レッツ!!いばらき\(^o^)/の

個展を開いてみたいです。

私はコーヒーが飲めないので

喫茶店はスルーしてしまったのですが

ギャラリーで芸術を堪能して

喫茶店でゆっくりと体を休めて

石岡散歩を楽しむには良い所ですよ。

ギャラリーは入場無料なので

気軽に立ち寄れます。

2階のギャラリーの床のすぐ上に

小窓があって外気を取り入れています

せい君は、この珍しい小窓が

気に入ったのか、ず~と眺めていました!

天井も蔵の梁がむき出しで

小さなギャラリースペースですが

癒しの空間を出していますが

窓が小さいので薄暗い印象でした。

作品を展示するのも

芸術を鑑賞するのも

無料でお互いにメリットがある

こんな施設があるのですね!

香丸資料館

石岡市府中1-4-14

TEL 0299-23-5916

年中無休

営業時間 10:00~18:00

入館無料

香丸資料館紹介HPこちら

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まち蔵藍

せいパパですhappy01

まち蔵藍は石岡市の観光施設です。

まち蔵藍

江戸時代末期に建設された「丁子屋」と言う名の

染物屋です。

昭和4年に石岡は火事に見舞われ

大火を免れた商家建築としては

唯一の建造物です。

国の有形登録文化財です。

現在は「まち蔵藍」として市の観光施設として

利用されています。

この周辺の建物には

有形登録文化財が多く存在していて

まち蔵藍の目の前には

この様な歴史的町並みが

今も数多く存在しています。

館内は小振りですが

染物や和の小物製品が

数多く販売されています。

せい君は駄菓子に夢中ですが

こんなノスタルジックな店は

今では数少なくなって来ていますね~。

建物の中も見学できるので

中を見学してみました!

1回外に出て店の脇から

案内されました。

館内は昔懐かしい空間が広がり

せい君は小物を手にして

遊んでいました。

この頭の上には

光を部屋に取り込む天窓が

装備されて明るい開放的な部屋になっています。

中庭が見えますが

以前は染物屋だったので

ココでは染物の体験が出来るようです。

2階は天井がやけに低く

圧迫感がある感じで今まで見た

建造物では珍しい構造になっていました!

今で言うバルコニーがあり

中庭を見下ろす所があったのですが

外に向かって傾いています。

傾いてるのは意味があるのでしょうかね?

昔の建物は、やけに階段が急なんですよね

ココもかなり急でした・・・。

外に出ると少し風が吹いていて

風流でしたよ。

まち蔵藍

石岡市国府三丁目5-6

TEL 0299-23-8723

営業時間 10:30~17:30

定休日 木曜日

HPこちら

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国府

せいパパですhappy01

先日、石岡を訪れ

常陸国分寺跡を見て来ましたが

生憎の雨でゆっくり見る事が出来ず

写真も良い物が取れなくて

常陸国分寺を資料やインターネットで調べていると

常陸国分寺も

他の地域の

国分寺もそれぞれ

国府の傍に存在してる事が分かりました。

そもそも国府とは?

調べましたが難しい内容なので

チョー簡単にまとめました。

今回は日本の国家の成立をアップしますね~。

私達が住む日本の原型なので

この瞬間が無ければ今の日本は無かったと思います。

今回はかなりマニアックな話なので

興味の無い方はスルーでお願いします。

国府とは

古墳時代を経て

飛鳥時代の大化の改新により

大和朝廷は

中央集権政治を目指すようになり

国造や地方豪族の地方統治から

中央から人材を派遣して

直轄政治を進めました。

全国を68の国に分けて

それぞれの国毎に国府を置き

国司を派遣して治安維持や徴税を行い

701年の大宝律令の成立によって

中央集権政治は確立しました。

ここに天皇中心の中央集権国家が

誕生しました。

全国の国府所在地一覧ですこちら

歴史の流れで色々ありましたが

天皇を象徴とした日本国は現在も続いています。

ここからは茨城の国府

常陸国に話を移しますね。

常陸国府

常陸国は東海道の終点で

東国では大きな勢力を持った大国でした。

常陸国府跡は現在の

石岡小学校の校庭にあります。

国府は各官庁がある常陸国衙(ひたちこくが)

周辺に広がる街の事を指します。

国衙も石岡小学校から市民会館に

かけてのエリアに存在していた事が

分かっています。

石岡には主要な神社を国衙の近くに

まとめて総社と称して祀っています

それが常陸国総社宮です。

常陸国総社宮HPこちら

石岡には沢山の歴史的な

史跡が集まっていますが

これらは全国何処でも共通していて

国府が存在する所には

○国府・国衙(こくが)・国庁

○総社・惣社

○国分寺・国分尼寺(こくぶんにじ)

これらが同じ場所に集中して

建設されています。

常陸国分寺跡

常陸国は平城京からつながっている

東海道の終点の大国で資料も膨大に存在しているそうです。

入口には中門跡があり

奥へ進むと薬師堂があります。

741年 聖武天皇により

鎮護国家を祈り

全国の国府に国分寺と国分尼寺を

建立しました。

常陸国分寺は東西270m南北240mで

七重塔を設け僧侶も20人いて

全国の国分寺の中でも

最大の規模を誇っていました。

現在は七重塔は存在してませんが

国分寺より少しだけ離れた場所に

建っていたそうです。

現存している薬師堂や

この山門も明治以降の物です。

境内は市街地にありながらも

中心地から若干離れていて

石岡市も大規模な都市では無いので

現在でも跡地として当時の様子を

今に残しています。

常陸国分寺跡は幼稚園の裏です。

境内の裏側は子供達の元気な声が

溢れていましたが墓場になっていました・・・。

でもココの墓の中に

江戸時代に「都々逸節」を全国に広めた

都々逸坊扇歌をしのび

都々一坊扇歌堂が建っています。

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アウトレット&リサイクル お宝館

せいパパですhappy01

石岡市の国道6号線から国道355号線に

入ってすぐの所に

リサイクルショップお宝館があります。

店構えは来る物を拒むかの様な

異様な感じです。

黒色の店舗は見た目が重いです。

店内のオブジェも異様でした。

近くで見ると洗濯機のホースらしき物が

柱からもニョキニョキ生えていましたが

私は好きですこんな遊び心!

館内は意外と広くて綺麗でした。

せい君は楽器に夢中です!

特にピアノは大好きなようで

手を大きく広げて

高音と低音の両方の

鍵盤を弾いて

相変わらずデタラメ演奏会をしていました。

きっと保育園にはピアノがあって

毎日先生が演奏してくれるから

興味があったのかなと勝手に想像しました。

店員さんに注意されるかもと

思ったけど暫く弾いていても

な~にも言われなくて

せい君の演奏は絶好調になるばかり

騒音にしか感じられません・・・。

ま~何も買わなくて店を

出てきて帰ろうとした時に

隣に、こんな旗がヒラヒラと

私に手招きをしていますよ!

レディースカジュアルの古着屋さんでした。

しかも、かなりの激安です。

普段着だったら勝手も損は無いでしょう!

これは妻のお土産に買って帰りました。

315円です。

私の母に買って貰ったのですがね~。

帰って妻に見せると

こんなシースルーの服

中身が丸見えジャンだって・・・。

いいかな~と思ったけど・・・。

店内はこんな感じです。

母の後頭部が邪魔ですが・・・。

せい君は床に置かれた

おもちゃで、ずーと遊んでいました。

それにしてもこの店は安いです

メンズの服は全く置いてなかったので

私は面白くなかったですが・・・。

でも若い人向けの服ばかりなので

オバちゃんはココに来ても

何にも買えないよって

帰りにオバちゃん達が

入ってきました・・・。

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舟塚山古墳

せいパパですhappy01

舟塚山古墳(国指定史跡)

石岡市にある古墳です。

小さな駐車場に着き

辺りを見渡しても古墳は見当たりません

大体、古墳はこんもりとした林に覆われているので

駐車場から見える林に向かって

畑の中を貫いてる道路を歩き始めました。

民家が点在していますが何も無い所です!

しばらく歩くと見つけました

巨大な古墳らしい物を何だかゴルフ場の様に見えます。

道路から神社が見えてそこに

案内看板がありました。

登り口の案内が無かったですが

すぐ脇に丘の上につながる踏み固められた道が

あったので、せい君と登り始めたら

すぐにココが古墳だと分かりました

何とも急な斜面です・・・。

一気に前方後円墳の前方部に登って来ました

周りの景色が以外と綺麗でビックリですが

写真で撮っても何だか分からなかったので

景色の画像は無いです・・・。

後円部に向かって

せい君が走り始めましたが

全貌を見ると想像以上に巨大な古墳ですよ!

古墳には木が少しだけ生えていますが

全体は草原の様な感じです。

シダ植物がこんな感じに自生してました。

昔は松林だったようですが

松クイ虫の被害にあって

木が無くなってしまったそうです。

舟塚山古墳

霞ヶ浦の高浜入江を望み筑波山が見える

景勝地にある古墳です。

古代はこの地は霞ヶ浦の水運が盛んな地域だったそうです。

全長186m、前方部の幅100m、前方部の高さ10m

後円部の径90m、後円部の高さ11mで

三段構造の前方後円墳です。

大きさは茨城県内では最大で

東日本では群馬県太田市の天神山古墳に

次いで第2位の巨大な古墳です。

発掘調査は行われて無いので

詳しい事は分かって無いようですが

周囲の発掘調査で

新治から鹿島、稲敷を支配していた

国造(くにのみやつこ)級の豪族の古墳だと推定されています

霞ヶ浦全域を支配していた豪族だったの

かなりの権力者だったと思います。

作られたのは5世紀後半で

古墳時代中期です。

形が日本最大の仁徳天皇陵に

とても似ている為に大和朝廷と

強いつながりを持った豪族だと考えられています。

国造(くにのみやつこ)

大和朝廷は近畿を中心に勢力を

強めていましたが

国では無くて国同士の連合体だったようです

地方の豪族に国造と言う役職と自治権も

与えて力で抑えるのでは無くて

共同体として大和朝廷に加わる政策の役職名です。

つ~事は凄い事ですよ

大和朝廷の支配下じゃ無いんですから

やりたい事は国造が決める事が出来ちゃうんです。

6世紀後半には古墳製作数が

極端に減って来ました

それは大和朝廷の支配が全国的に広がり

古墳を作る必要が無くなったからだそうです。

ま~霞ケ浦を制したら東国を

手に入れたも同じと考えられてたので

とんでもない人がココに

眠っていらっしゃるのですね。

水戸では無くて石岡に

こんな巨大な古墳があるのは

石岡は昔は常陸国の国府が置かれた

場所だったからですね。

それにしても、ドデカイ古墳を

作っちゃた物ですね~。

帰りに道から道路を挟んで反対側に

府中愛宕山古墳が見えました。

この周辺は古墳群になっていて

常陸国の中心だった事が想像できますよ。

あくまで想像なので

ココに来ても畑と古墳があるだけですが!

舟塚山古墳の場所は

石岡市城南中学校の道路を

挟んで反対側です。

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