源氏川

せいパパですhappy01

常陸太田市の市街地を流れる

源氏川です。

山吹運動公園の目の前に流れていて

コンクリートで護岸整備していない風情のある川です。

堤防はサイクリングロードになっていて

子供達はのどかな空の下

走り回っています

勢い余って、せい君はこけました・・・。

源氏川、名前の響きが

また良いです。

源氏川

市内の大門町から里川までの

11kmしかない小さな川です。

昔は汚れた川だったようですが

平成8年から

水辺空間づくり河川整備事業で

「自然豊かな河川環境の保全・復元」

「人と水辺の接点の創出」の

大きな整備目標をかかげて

国道293号桃源橋から東橋までの

約1600mの区間に

自然を残すゾーンと親水性を高めるゾーンに

分けた整備を行っています。

山吹運動公園の前には

木製の「やまぶきばし」があります。

橋の下は現在工事中で

6月には階段整備が終わる様でした。

ちなみに、「やまぶき」は

常陸太田市の花に指定されています。

川には野鳥がひっきりなしに

飛来して来て川の浅瀬を歩いていました

せい君と、いっくんも

飛んでくる鳥を見て

スゲ~と言っては目で追っていました!

常陸太田市は自然と歴史に

恵まれた街なので

上手く調和した

この風情ある川面を眺めていると

ス~と心地よい気持ちになってきます。

人工的ですが

数少ない自然を感じる川が

流れる街なんて素敵ですね!

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山寺晩鐘

せいパパですhappy01

常陸太田市の山吹運動公園の裏山に

水戸八景 山寺晩鐘があります。

水戸八景

水戸藩第9代藩主 徳川斉昭が

1833年に水戸に入り

領内を散策し景勝地を

中国の「瀟湘(しょうしょう)八景」にならって

選定しました。

村松晴嵐、大田落雁、山寺晩鐘、青柳夜雨

仙湖暮雪、広浦秋月、厳船夕照、水門帰帆

以上の碑を一周すると

記述によって、まちまちですが

90Km前後あります。

水戸城下の藩子弟たちに

水戸八景を歩かせて自然に親しみ

心身の鍛錬をはかりました。

○○八景と言うのは

景勝地ですが景色ではなく

その地の空間全てを景勝地と考えている為

山寺晩鐘も当時ここにあった

旧久昌院の三昧堂檀林(仏教の学問所)の

鐘の音や勤行の声を選定してあります。

近年は景勝地や風景を

○○八景と選定してる場合が多いです。

興味がある方は水戸八景巡りをしてみるのも楽しいです。

興味がある方だけが良いです

結構何も無い場所もありますから。

山吹運動公園

市民の憩いの場で

テニス場やプール

体育館、野球場が揃い

市内のイベントもここで

行われています。

せい君と、いっくんは

小さな児童公園で遊んでから

山寺晩鐘に向かう山道を登り始めました!

この山道もかなりキツイです・・・。

あ~登るんじゃなかったと思いましたが

子供たちは元気そのもの

そのパワーを分けて貰いたいです。

山頂に着いたら

常陸太田を見下ろす景色が広がっていました。

すぐ背後に山寺晩鐘の石碑が

建っています。

この文字は徳川斉昭の直筆を彫った物です。

せい君は頂上まで来てダウンしてしまいました!

いっくん

「下に下りるよ~」

せい君

「勝手に先に行って~」

いっくん

「・・・・・・・・・・」

せい君

「駄目だ~疲れて動けない」

私も出来れば降りたくは無かったですが

帰れないので、すぐに降りました。

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佐竹寺

せいパパですhappy01

常陸太田市の佐竹寺です。

今回はイトコの

いっくんと一緒にお出かけです。

仁王門の前で記念撮影。

佐竹寺

真言宗豊山派の寺で

坂東三十三観音霊場の二十二番札所です。

本堂は国指定重要文化財

985年元密上人が創建したといわれています。

1543年に焼失しましたが

1546年佐竹氏18代佐竹義昭が佐竹城の

鬼門除けとして現在の場所に再建しました。

佐竹氏が秋田へ国替えになり衰退し

江戸時代に坂東三十三観音霊場として

賑わったが明治に入り荒廃

昭和24年まで無住の寺でした。

佐竹氏

混沌とした常陸国を統一した戦国武将一族

最も有名なのは

代19代当主佐竹義宣でしょう。

石田光成と親交があり

関ヶ原の合戦では関東の武将は東軍に付きましたが

義宣は西軍に着き

その反面、徳川家にも関係を持ち

曖昧な態度が徳川家康の反感を買い

出羽久保田18万石へ減封されました。

その際に茨城の美人を引連れて

秋田へ入ったので

茨城県はブスばかりで秋田県は秋田美人と

言われるようになりましたが

歴史とは全く関係ない話です。

佐竹義宣の時代は

常陸国54万石の大大名でした

当時400あまりの大名が居た中で

54万石は第8位でした。

佐竹氏は常陸で470年間秋田で270年間

合計740年間も有力大名の地位を維持し続けました

佐竹氏の様な名家は

その他は薩摩島津氏しかいません。

その為佐竹氏は常陸を去ってからも

殿様と呼ばれ

秋田でも殿様と呼ばれる歴史上まれに見る

両方から慕われた一族でした

そんな市民の目線で統治していたので

740年と言う長きに渡り一族が存続したのでしょう。

佐竹寺の境内は今では

ひっそりとしています。

本堂が珍しく北を向いているので

境内は少し薄暗い感じです。

田舎の寺と言うイメージが強くて

子供の頃に遊んだ寺を思い出す素朴な所です。

子供達も本堂の前で無邪気に

遊んでいました。

仁王門と本堂共に

お札が所狭しと、びっしり貼られていて

不思議な空気漂う空間でした。

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